ロボコンズ体験記 5/8-5/10
きっかけはアースデイだった。
バブさんやOVER HEADSの先輩から石巻の現状を聞いた。バブさんはGravity Free達と避難所(学校等)の泥掃きをし終えて帰って来たばかりだった。
「またすぐに行く!今度は炊き出しに行く。その後はAO、お前達が音楽届けてやって欲しいんだ。」
バブさんチームにバスを託し、ダチャンボはその後、メンバーで話し合った。行ける人行けない人、行って来た人のそれそれの意見。「力仕事も確かに必要かもしれないが、今現場には娯楽がないんだよ。自分達にしかできないことってあるんじゃないの?」それを言われるとグウの音もでない。とうか音楽しか思い浮かばない。
東北行きに名乗りを上げたのはYAO,OMI、そしてLEDのカクエイ。マジェスティックサーカスのGOROさんとデザイナーチーム、エルチノスT1&T0もスタッフとして参加。俺も含めて7人の有志”ロボコンズ”で出発が決まった。
【5/8】
午前着。ボランティアチームに挨拶に行ったあと、今夜のライブ会場である鯛蝶さんの店を目指す。鯛蝶さんとダチャンボの付き合いは以外と長い。出逢いは忍野DEADか龍岩祭か、東北でライブがあると、ほとんど遊びにきてくれる石巻DEAD HEADSの大先輩なのだ。
石ノ森漫画館の側にある商店街。ここもおもいっきり津波の被害を受けている。今日の会場も2階ギリギリまで水が来たらしく、1階の泥かきをOVER HEADSやテーパーたにさんらが手伝って終えたばかりという話だった。心から再会を喜んだ後、早速ライフラインの案内を受ける。まだ余震も続くこの辺りでは、当り前だがまったく津波の不安が消えていない。近所の小高い山まで登って町を見下ろす。全員無言になってしまうような、そんな景色だった。
OMIちゃんの下に広がる瓦礫の中は、ほとんど救助作業も回っていないという。。
記念に入っておいで!と言われ自衛隊風呂へ。
ここでは自衛隊も警察もめちゃくちゃ優しい。人間同士の会話ができるのがいい。
電気のない会場でランタンとキャンドルLIVE。ボランティアの人達もたくさん集まってくれて、超満員状態で2SETやらせてもらった。電気がなくても素晴しいパーティーが成り立っていた。今夜と明日もこの会場で寝泊まりさせてもらえることに。結局お世話になっているるる~
ライブ会場前のカオスなパーキング
【5/9】
次の日から学校周りを決行した。たねのTakさんの協力もあり、ボランティアのなべちゃんがブッキング(ライブ交渉)をほとんど手配してくれて、最初の学校は渡波小学校に決まった。堤防から600mの距離に有る学校。状況はこちらを見てもらえれば。
お昼にグランドで炊き出しをするので、その時間に演奏させてもらった。
いきなり柄の悪い人達が演奏開始する風景、俺が地元民だったら驚きを隠せないが、「北酒場」くらいからやはりノリが変わってくる。みんなの手拍子が聞こえる。「アンパンマン」は俺が歌うとブルースになってしまって、子供はちょっと遠目にみていたような。。それでもみんな元気で、1人だけお婆ちゃんがずっとアンコールを送ってくれていた。婆ちゃんに喜納さんの「花」を歌った。泣きな~さ~い、俺よ。だった。
バブ&Gravityチームがお祭りに参加したという明神社が近所にあるというので、参拝へ。
グラヴィティ絵馬を参拝していたら、祭りの実行委員であるボランティアチームに出逢った。祭りの後も人が集まれるように、簡易の青空カフェのような場所を提供していた。宮司さんからも話は聞いたが凄まじい話ばかりだった。
古くから漁村だったその昔は一面砂浜だったらしいのだが、その中でも一番小高い場所に建てられたという神社の逸話。古くからの言い伝えで、神社の本殿の床に水が着いたらその村は全滅するというものだった。「ほんとに言い伝え通りになった。」宮司さんは言っていた。神社の周りにはご神木のような太い松の木が、輪になっていてその木が、津波の漂流物を最小限に食い止めたらしい。神社に避難したおよそ250名の人が奇跡的に助かったというノアの箱舟伝説のようなホントの話。
おばちゃんは、恐怖でベッドから起きれず、目の前に天井が迫ってきた瞬間、水が引いた。とか、あるおじさんは、難を逃れて階段を駆け上ってドアを開けた瞬間、「こりゃ天国じゃなくて、地獄への階段だ」と思ったらしい。そんな光景だったのだろう。
俺達も来年のお祭りには是非とも参加したいと思ってます。
【5/10】
最終日は湊中学校と湊小学校、そして夜は仙台でライブやってそのまま東京へ戻るという強行スケジュール。
湊中学校は既にバブ&Gravityチームが掃除をしたり炊き出しを行った学校。絵が飾ってあり、テーブルには花。メニューもとてもしっかりしている。
お昼時になり、炊き出しの行列ができるその横で演奏させてもらう。不思議な民族楽器の説明と音色。ディジュリドゥもバラフォンも、じいちゃんばあちゃんは当然知らないので、2人とも説明をしてから演奏を始める。カクエイもパチカを持ってみんなの周りを回ったり、俺とGOROさんも美空ひばりやトトロ(メイ?)の歌を演奏した。
炊き出しの食事を、またしてもごちそうになり(おいおい)、次の湊小学校へ向かう。
こちらでは体育館と図工室の2ステージ。
体育館には人はまばらにしかいなかったけど、民族楽器にくいついてくるじいちゃんとみんなでセッション。
図工室では美容師のボランティアの人達の脇で演奏させてもらった。鯛蝶さんもミカさんもてっちゃんも観に来てくれて嬉しかった。
今回この強行スケジュールでも、ほんと心から歓迎してくれて、むしろお世話になりっぱなしだった鯛蝶さん夫妻には大感謝です。またすぐ逢いたいぜ。
急遽、仙台でもライブをやりたいというワガママを聞いてくれたのは、これまた仙台の仲間DJ JOJOだ。登米や森波、HERBESTAにも遊びにきてくれるナイスDJは、仙台の夜を見事にブッキングした。
前日告知にもかかわらず、たくさんの人が聞きにきてくれた。そして東北の音楽仲間も応援しに集まってくれた。
最後の夜は限界越えの壮絶なセッションだったと思う。(案の定内容記憶無し)
そしてたくさんの仲間と再会を約束して東京へ
【個人的感想】
写真や映像で見る景色と目の前に広がるリアルは、全く違う。特に海の近くに住んでいるので地震ナメてました。津波ナメてました。を完全思い知らされた。
行く以前はむしろ原発の方にヒステリックな意識を持っていた。(これもどう考えてもおかしいけど)
でも、現場はハッキリ言ってそれどころじゃなかった。10年先の不安より、明日生き残る為に、今を生きてるんだ、そりゃそーだ。ただひとつ言えるのは、今を必死に生きてる人達の命の輝きはすごいパワーだった。簡単に言うと笑顔が半端ねえ!てことだ。
あれから2ヶ月以上、愛する町を離れずに、避難所で住み続けてる人もいる。想像を超えて疲労も募っているだろう。それでも自分達の街で、次の歌を口ずさもうとしている笑顔は、完全に音楽を超えていた。ありえない世界は見方を変えると何でもアリな世界なのだ。
そこで感じたことは、それぞれが生きること自体が立派な仕事で、生きてる以上役割はあるっつうこと。自衛隊も警察もミュージシャンも炊き出しもロウソク灯すのもデモするのも、たぶんやっぱり同じこと考えてると思う。むしろ希望しか見えないような、今が分り易い時だ。
気づくこともたくさんある。TVではすっかり忘れられてる感もするが、時間もまだまだかかるだろう。ボランティアも不足してるらしいので、自分の判断で行くも良し。行かない人もちょっとずつ意識を変えていかないと、誰のせいにもできない時代がやってきちゃうよ。
こんな時代に生きてることに感謝して、俺達は前向きに胸張っていきたいね。
AO
PHOTO by EL×CHINOS
aoちゃん、元気が出る歌声をありがとう。
隣でCoffee shop roots始めました。
美味しいコーシーでも飲みに来てね。
カオスな駐車場は、ヘドロも撤収されてスッキリよ!
車は入ったままで船も駐車中だけど。
また逢いましょう
2011年6月2日 @ 11:51 AM
祝!Coffee shop開店!!
これは行かねば!
みなさん元気ですかー?
あの車もまだあんのかー、、
チームダチャンボ次回のパーティー大作戦も画策中です!!
2011年6月2日 @ 3:01 PM
うわぁ~素晴らしいです!いよいよ開店したんですね、おめでとうございます!
みなさんお元気ですか?
次回またお邪魔した時、至福の一杯いただきたいです。
リスペクトです!
YAO
2011年6月4日 @ 3:35 PM